孔子の論語を中国語で学ぶと、もっと深く理解できる。




孔子(kǒng zǐ)の論語にある有名な一文を中国語で学びましょう!

さっそくですが、今回扱う一文は有名なこちら。

子曰:“吾十有五而志于学,三十而立,四十而不惑,五十而知天命,六十而耳顺,七十而从心所欲,不逾矩

どのくらい理解できましたでしょうか?

孔子の論語にある有名な一文の意味とは?

そもそも孔子が書いたものでない?

孔子の論語は、孔子自身が書いたものではなく、
孔子の弟子たちが、孔子の言葉を書き留めたものです。

なので、「~(孔子)が言ったことには」の書き方がされています。

子曰

子曰(zǐ yuē)の『』は”孔子“のことで、『』は”言う”の意味です。
この『子』という字は尊敬に価する人物の呼び方であり、ここでは先生の意味といえるでしょう。

子曰は、『孔子が言うことには、(おっしゃることには)~』です。

吾(wú)は『我』、”私”の意味です。

十有五而志于学

十有五而志于学(shí yǒu wǔ ér zhì yú xué)の、まず『十有五』は15歳の意味です。
』は”これから、今から”で、『志』はそのまま、志です。
于学の『』は”~において、~に対して”と訳すのがわかりやすいです。つまり、”学ぶことにおいて、対して”です。

十五歳から学ぶことに対して、(自ら)志を持ち始める

三十而立

三十而立(sān shí ér lì)とは、30歳で”自立于世”する、世に1人で自立して生きはじめる。の意味です。
而立之年とも使われるのですが、この場合も同様に30歳の時点を指し意味は同じです。

三十歳から世に1人で自立して生きはじめる

四十而不惑

四十而不惑(sì shí ér bù huò )の『四十而』は、三十而立と同様で、”四十歳から”の意味です。
』とは迷惑(mì huò)の『惑』で、戸惑いや迷いを表します。

四十歳から、出来事に対して迷わない

五十而知天命

五十而知天命(wǔ shí ér zhī tiān mìng)の五十而は割愛。
知天命』は天命を知る、理解するで、ここでは”自分の天命が何かを知る”です。

五十歳から自分の天命が何かを知る

六十而耳顺

六十而耳顺(liù shí ér ěr shùn)の『耳顺』は、
他の人の意見に対して反抗せず、異なる意見にも耳を貸せる”ことです。

六十歳からは、他の人の異なる意見に対して耳を貸せるようになる

七十而从心所欲,不逾矩

七十而从心所欲,不逾矩(qī shí ér cóng xīn suǒ yù ,bù yú jǔ)
从心所欲』は、”心が欲することに従う、欲するがままに”、の意味です。
不逾矩の『』は、”超えすぎる、度を超える”で、『』とは規則のことです。
同様の意味で”规矩”という単語もありますね。

七十歳からは、きまりの範囲を超えずに、心が欲するがままにできる、

論語の一文、解釈のまとめ

以下は原文、解釈まとめと、中国語で簡単に言い換えた場合です。

子曰:“吾十有五而志于学,三十而立,四十而不惑,五十而知天命,六十而耳顺,七十而从心所欲,不逾矩

解釈まとめをすると

『孔子がおっしゃることには、十五歳から学ぶことに対して志を持ち始める、
 三十歳から世に1人で自立して生きはじめる、四十歳から、出来事に対して迷わない、
 五十歳から自分の天命が何かを知る、六十歳からは、他の人の異なる意見に対して耳を貸せるようになる
 七十歳になるとは、きまりの範囲を超えずに、心が欲するがままにできる。』

わかりやすい中国語に言い換えると

『孔子说
 我十五岁时开始立志学习
 三十岁时能自立于世
 四十岁时遇事(yù shì)就不迷惑
 五十岁时懂得了什么是天命
 六十岁时能听得进(jìn)不同的意见
 到了七十岁时才能达到从心所欲
 想怎么做便(※)怎么做,也不会超出规矩』

※便は就の意味です

以上、面白く理解できましたでしょうか!

さいごに・・残る疑問

孔子は紀元前551年生まれです。となると当時の寿命を考えれば、この一文の年齢はズレるのでは?
そう考え、中国人の知人達や学校の先生に聞いた所、『確かにそうかもしれないが、15歳、30歳の区切りは今でも使う』との事でした。

もっとも頻繁に使うのは30歳の区切り。
こちらは覚えておきましょう!

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